観光

永平寺

永平寺

曹洞宗の寺院。總持寺と並ぶ日本曹洞宗の中心寺院(大本山)。
山号を吉祥山と称し、寺紋は久我竜胆車紋。
開山は道元、本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏。
◆国宝
普勧坐禅儀(附 普勧坐禅儀撰述記)
◆重要文化財
道元禅師嗣書 1幅 紙本墨書 南宋時代
明全戒牒 1巻 金銀絵料紙墨書鎌倉時代
正法眼蔵仏性第三 1冊 紙本墨書 孤雲懐弉筆 鎌倉時代
後円融院宸翰 1幅 南北朝時代
梵鐘 鎌倉時代 嘉暦2年(1327年)
◆福井県指定有形文化財
山門
中雀門
絹本著色三帝釈天像
絹本著色永平寺歴代祖師像 9幅

*初詣はいつもここだった。除夜の鐘を鳴らすのに並び、帰りに甘酒を頂いて帰るのが楽しみ。
昔は女人禁制だったとか。


一乗滝

一乗滝

福井市浄教寺にある足羽川の支流一乗谷川の滝。
1776年(安永5年)に熊本藩の豊田景英が編纂した『二天記』では佐々木小次郎の生まれは越前国宇坂庄浄教寺村(現福井県福井市浄教寺町)と記されており、秘剣「燕返し」はこの滝で身につけたとされている。
また、怪力で名の知れた力士「北国兵太夫」が鍛錬した滝とされている。
近くには小次郎の里ファミリーパークがあり、バーベキューやキャンプもできる。

*小さい頃は親戚その他大勢でピクニックによく連れて行ってもらった。
滝の水を持ち帰りたくてダダこねて泣いてたの思い出す。


東尋坊
東尋坊

東尋坊

福井県坂井市三国町安島に位置する崖。越前加賀海岸国定公園に属する。
海食によって海岸の岩肌が削られ、高さ約25メートルの岩壁が続く。
この岩は輝石安山岩の柱状節理でこれほどの規模を持つものは世界に三箇所だけであり地質上極めて貴重とされ、国の天然記念物及び名勝に指定されている。
地名の由来は、乱暴あるいは恋愛関係で恨みを買って此処から突き落とされた平泉寺の僧の名前による。
今から約1,200-1,300万年前の新生代第三紀中新世に起こった火山活動で、マグマが堆積岩層中に貫入して冷え固まってできた火山岩が、日本海の波による侵食を受け地上に現れたものとされている。
東尋坊の火山岩は白色の斜長石の斑晶や暗緑色の普通輝石・紫蘇輝石の斑晶を含む安山岩で、マグマが冷えて固まるときにできた五-六角形の柱状の割れ目(柱状節理)がよく発達している。
この柱状節理の規模の大きさが地質学的に極めて貴重であるとされ、昭和10年(1935年)に国の天然記念物・名勝に指定された。
また、平成19年(2007年)には日本の地質百選に選定された。

*自殺の名所で有名になってしまったが、ここもよく家族や友人と訪れた場所。実際はサザエのつぼ焼きが目当てっていうオチだけど。
小さいが近くには松島水族館もあり、心霊スポットと名高い雄島では肝試しをよくやったけど、怖すぎてお勧めできない。


芦原温泉

芦原温泉

福井県あわら市(旧越前国)にある温泉芦原町と金津町が合併してあわら市が発足してからは「あわら温泉」と表記されることも多くなっている。
福井県屈指の温泉街として「関西の奥座敷」と呼ばれ、昔から多くの文人墨客に愛されてきた。
温泉療法医がすすめる名湯百選にも選ばれている。
歓楽温泉としても発展していたが、温泉街にその要素は少なく、落ち着いた雰囲気のある温泉街を作っている。
あわら湯のまち駅で貸し出しされるレンタサイクルで街中を散策することが出来る。
2006年より、観光協会から湯めぐり手形が1,500円で発行され、温泉街の19の宿の湯をどこでも楽しめるようになった(手形には500円のシールが3枚付き、1枚で1ヶ所巡れる)。
2007年末にはあわらゆのまち駅前のスペースに「あわら温泉屋台村 湯けむり横丁」がオープン、観光客と地元住民との憩いの場として賑わいを見せている。

*ここは家族で、というより会社の親睦会等で使わせてもらう事が多かったかなぁ?
泉質、効能のほどは実際のところ分からないけど。←


朝倉氏遺跡
朝倉氏遺跡

朝倉氏遺跡

福井市城戸ノ内町にある、戦国時代に一乗谷城を中心に越前国を支配した戦国大名朝倉氏の遺跡。
一乗谷城(山城)と山麓の城下町(朝倉氏および家臣の居館)からなる。
遺跡全体(面積278ヘクタール)が国の特別史跡で、そのうち4つの日本庭園は一乗谷朝倉氏庭園の名称で国の特別名勝の指定を受けている。
九頭竜川水系足羽川支流である一乗谷川下流沿いの細長い谷あい(一乗谷、東西約500メートル、南北約3キロメートル)に築かれている。
東、西、南を山に囲まれ、北には足羽川が流れる天然の要害で、周辺の山峰には城砦や見張台が築かれ、地域全体が広大な要塞群であった。
また、三国湊(坂井市)に続く足羽川の水運や大野盆地(大野市)に通じる美濃街道、鹿俣峠を抜け越前府中(越前市)へ続く街道などが通り交通の要衝でもあった。
さらに、一乗谷は北陸道より数キロメートル東寄りに位置するため、朝倉街道が整備され北陸道と連絡した。
一乗谷の南北に城戸を設け、その間の長さ約1.7キロメートルの「城戸ノ内」に、朝倉館(武家屋敷)をはじめ、侍屋敷、寺院、職人や商人の町屋が計画的に整備された道路の両面に立ち並び、日本有数の城下町の主要部を形成していた。

*ここも遠足やピクニックの定番。
今は出来ないが横の河原の芝生でバーベキューしたり、ファミリーでよく訪れた。
秋は赤とんぼの大群がススキと夕焼けに生えてとても綺麗だったのが印象に残っている。


丸岡城

丸岡城

日本100名城 No.36。坂井市丸岡町霞に「あった」城である。別名霞ヶ城。江戸時代には丸岡藩の藩庁となった。
丸岡城は、福井平野丸岡市街地の東に位置する小高い独立した丘陵に築かれた平山城である。
近世に、山麓部分が増築され、周囲に五角形の内堀が廻らされていた。
安土桃山時代に建造されたと推定される天守は、国の重要文化財に指定されている。その他、石垣が現存している。
移築現存する建物として、小松市興善寺およびあわら市蓮正寺に、それぞれ城門、丸岡町野中山王の民家に、不明門と伝わる城門がある。ほかに土塀が現存する。
五角形の内堀は現在埋め立てられているが、この内堀を復元する計画が浮上している。
「霞ヶ城」の名の由来は合戦時に大蛇が現れて霞を吹き、城を隠したという伝説による。
大入母屋の上に廻り縁のある小さな望楼を載せた古式の外観から現存最古の天守とも呼ばれている。
現在、見られる天守は、昭和23年(1948年)の福井地震によって倒壊した後、昭和30年(1955年)に部材を組みなおして修復再建され、その際、最上階の窓の造りが引き戸から突き上げ窓に改変されている。
独立式望楼型2重3階で、1階平面を天守台に余分を持たせて造られているため、天守台を被せるような腰屋根が掛けられている。
屋根瓦には笏谷石製の石瓦が寒冷地であるという気候事情により葺かれているといわれる。

*ここでは花見の時季に桜まつりが開催され、お茶会だったり様々な催し物があって、桜にお茶とお菓子が美味しかった印象が濃いなぁ。
基本楽しみは食っていう‥。一応お作法も勉強になったとフォローしておこう。


平泉寺
プリンちゃん

平泉寺

勝山市平泉寺町(へいせんじちょう)(大野郡平泉寺村)平泉寺に鎮座する神社。地名を冠して平泉寺白山神社とも称す。
境内の苔は西芳寺と共に有名。旧玄成院(別当・平泉宮司邸)庭園は、昭和5年(1930年)に国の名勝に指定された。
境内は「白山平泉寺城跡」として国の史跡(昭和10年)、「白山平泉寺旧境内」として国の史跡(平成9年(1997年)に指定されており、白山国立公園特別指定区域内にある。
また、「美しい日本の歴史的風土100選」(平成19年)、「かおり風景100選」(平成13年)に選定され、参道が「日本の道百選」(昭和61年(1986年)に、平泉寺から白山までの白山禅定道が「歴史の道百選」(平成8年)に選定されている。
境内の苔は西芳寺と共に有名。旧玄成院(別当・平泉宮司邸)庭園は、昭和5年(1930年)に国の名勝に指定された。
境内は「白山平泉寺城跡」として国の史跡(昭和10年)、「白山平泉寺旧境内」として国の史跡(平成9年(1997年)に指定されており、白山国立公園特別指定区域内にある。
また、「美しい日本の歴史的風土100選」(平成19年)、「かおり風景100選」(平成13年)に選定され、参道が「日本の道百選」(昭和61年)に、平泉寺から白山までの白山禅定道が「歴史の道百選」(平成8年)に選定されている。

*ほんと余談だが、平泉寺麓のソフトクリーム屋さんで販売されているプリンちゃん(下写真奥)は絶品。
メニューは、プリンちゃんのほか、山ぶどうさん、恐竜の足跡(各420円)、ソフトクリーム320円(普通のコーン)ラブリーコーン370円(ワッフルコーン)、まきばカップ370円がある。
ミルク好きは絶対食べるべし!!(どんだけ)
ただ、雪深い勝山なので、閉店してる時季があったかも‥。

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