特産

若狭カレイ

若狭カレイ

日本近海だけでも40種近くあるカレイだが、その中でも絶品とされ、毎年皇室にも献上されている。
地元では「笹がれい」、または「甘がれい」とも呼ばれ、上品な身の甘さが格別。
特に秋から冬にかけての産卵前のものは身も厚く、脂ものって特に美味しくなり、一夜干しされた子持ちの「若狭かれい」は、ピンク色の卵巣が透けてみえて、姿も美しく、お歳暮など贈答用としても珍重されている。
美味しいのはもちろんのこと、身の骨離れもよく食べやすいので、魚食を進める上でも、重宝な魚。
[旬の時期]11月中旬〜2月末。


福井梅

福井梅

福井梅は種が小さくて果肉が多いことで、食べておいしいと高く評価されていて、古くから作られている銘柄には、実の片側にほんのりと赤みがさした梅干し用の「紅映」、梅酒に使われる「剣先」の2種類がある。剣先は梅酒、梅シロップに適し、紅サシは梅酒、梅干しに適している。
もともと梅は、アルカリ食品として栄養価も高く、料理やお菓子などはもちろん薬用にまで利用された。
出荷は、「剣先(実の先端部分がやや尖っていることから)」が6月7日から、「紅サシ(実が熟してくると日当たりの良い部分が紅色を帯びることから)」が6月15日から始まっている。
福井梅の栽培の歴史は古く、江戸時代の天保年間(1830年〜1844年)に若狭町(旧三方町伊良積)で発祥したと言い伝えられている。
梅栽培が本格的に定着したのは明治15年頃からで、普及した地域をさして、「西田梅」と呼ばれ、親しまれてきた。
完熟した梅を製造する段階で添加物を使用せず、梅とシソ、塩だけを使い天日に干す丁寧な作業を行っていて、その結果出来上がるのは、甘みと酸味が絶妙な福井県が誇る美味しい梅干し。
しかも紅サシは他県産に比べて肉厚で種も小さく、食べやすいのが特徴。さらにミネラルも豊富な健康食材。


コシヒカリ

コシヒカリ

粘り・つや・香りなど美味しさのバランスが整っている米。甘くてツヤがあり、冷めても美味しい。
コシヒカリの歴史は、昭和19年に福井県から始まった。
当時、人工交配されたものの、倒伏しやすく、いもち病などの欠点もあり注目度は決して高くなかったが、それから十数年、幾度もの栽培工夫と改良を経て、昭和31年に「越の国に光り輝く米」の願いを込めてコシヒカリと命名。
以後、全国各地へと広がっていった。


花らっきょ

花らっきょ

福井県北西部に位置する砂丘地帯、三里浜で栽培されている。明治初期、砂の飛散を防ぐため三里浜で自給の作物として栽培したのが始まり。
らっきょうの栽培は8月中旬から9月中旬に植え付けを行い、翌年の6月〜7月に収穫するのが通常だが、三里浜で作られているらっきょうは全国でも唯一、植え付けから収穫まで足かけ三年もの年月をかけて栽培され、「三年子」と呼ばれている。
種球ひと粒は最初の1年間で6〜9粒に増え、これが丸2年間育てる「三年子」栽培では40〜60粒になる。年月が経つにつれて粒が小さくなるため、三年子は小粒で繊維が細かく身が締まり、シャキシャキと歯切れのよいらっきょうとなる。
収穫された三年子の大部分は甘酢漬けに加工され、「花らっきょ」というブランド名で県内はもとより全国へ出荷されている。


越前蟹

越前蟹

全国唯一の皇室献上がに。
「越前がに」の漁場、越前海岸沿岸は、暖流と寒流がぶつかる海域であり、同時に冬の寒さや冷たさが海水に最も影響するともいわれていて、その寒さの厳しい環境が、カニにとっては最良の生息場所でもある。
福井県の4つの港(北から三国〜越前〜敦賀〜小浜)で水揚げされる「越前がに」は、全国的に知られる最高級品。

*雄よりも雌のセイコ蟹の内子とミソが美味しい。地元では俄然、雌の小さい蟹の方が人気。
蟹を出すお店によっては、中身を全て取り出して何杯も乗せた開高丼などの名物もあり、高級料亭で食べるよりもずっと美味しいような‥。
セイコガニの漁期は、カニ解禁の11月6日から1月10日までと短い。


上庄里芋

上庄里芋

「上庄里芋」は約20年前から全国へ販路を拡大、少しずつ認知され、全国区の人気を誇るブランド里芋。
福井県東部、大野市上庄地区の周囲を山に囲まれた静かでのどかな山里。
四季が明確で、特に冬は積雪量が多い全国有数の豪雪地帯。
晩夏〜秋にかけては寒暖の差が大きく、その温度の差が作物を美味しくすると言われている。
そして周囲の山々の一つ、経ケ岳の噴火で流れ出た黒ボク土壌を含む、豊穣で水はけの良い扇状地も里芋を包み込むように育てる。
また、霊峰白山をはじめ1000m級の山々から流れる水はまろやかで、里芋はもちろん美味しい奥越産の米を作るうえでも不可欠なもの。
これらの自然条件がすべて揃い、美味しい上庄里芋となる。
小ぶりながら身が締まっていて煮崩れしないこと。皮を剥くのではなくタワシなどで皮をこそげ取るように綺麗に洗い、料理するのが美味しさのコツ。
肉質のしまりが良く、皮は柔らかく味も良いと評判。
よく煮ても煮崩れせず、口にした時の感触は噛み切れない硬さではなく、程よい歯ごたえ。噛めば噛むほどホクホクした食感が、クリーミーな粘り気とともに濃厚で甘みのある里芋の風味が広がる。

*里芋の煮っ転がしをよく作ったが、味噌、醤油どちらも美味しい。
煮込んで一晩おくとさらに身が締まってモチモチした食感となる。一度食べ比べて欲しい逸品。


越のルビー

越のルビー

福井県出身の芥川賞作家津村節子氏が命名。
真っ赤に完熟してから収穫されるため「あたかもルビーのようなトマトが越の国(越前)で作られた」というのが理由だそう。
福井県立短期大学(現福井県立大学)農学科で育成され誕生。
大玉トマトとミニトマトの中間の大きさで一般に「ミディトマト」と呼ばれている。
大玉トマトと比較すると糖度が高いのが特長で、形や大きさがちょうど良く甘みがある。
またビタミンCのほか、リコピンも大玉トマトの2倍程度含まれ、カルシウムも多く、一般的なトマトに比べて極めて栄養価が高いのが越のルビーの魅力。
ヘルシーフルーツとして売り出され、生活習慣病などのさまざまな病気の原因とされる活性酸素を減らす働きがあるリコピンも約2倍含まれている。


メガネ

眼鏡

100余年の歴史があり、福井県鯖江市は、made in japanフレームの9割以上のシェアを持つ「めがねの聖地」。
とても身近なめがねだが、一つが完成するまでには200以上の工程が必要。伝統の技を受け継いだ職人の手によってつくられためがねは、日本の優れたモノづくり技術のひとつ。
鯖江メガネミュージアムのほか、東京南青山のGLASS GALLERY 291(http://gg291.com/)でもメガネ作り体験教室を開催。
約300種類のプラスチック生地のから好きなものを選び、糸のこぎりを使って自分好みのデザインに作り上げた後、専門の職人さんが仕上げてくれ、約1ヵ月後に手元に届く。


竹人形

越前竹人形

雪に閉ざされ屋外に出にくい冬季は、家内で竹籠や花器づくりが盛んとなり、伝統工芸として育まれてきた。
越前竹人形は昭和27年頃、師田保隆・三四郎兄弟が竹の切端を利用して竹人形が出来ないものかと色々試作し、永平寺雲水人形、歓進帳や藤娘、音楽人形などを作り、昭和30年には「全国竹製品展」において中小企業長官賞を受賞、また「全国新製品展」においては農業経済局長賞を受賞するなど、福井県の新しい特産品として業界の注目を集め、全国に知られるようになった。
人形の髪の毛も真竹を割っていき、最終的には0.2mmの太さにまでしたものを使用して、一体の人形に4000本の竹の髪の毛が植えられている。
竹人形によく使われるのは真竹、孟宗竹、女竹といった種類。三年生の竹を秋口に切って更に3年程寝かし乾燥させたものを主に使用。
天然素材の竹は反りが違う為、 第一作業場で竹をいろいろな人形の形に合わせて裁断し(木取り)、面を取って滑らかにするなど修正を行う。
また、人形の髪の毛に使う竹を鉈(なた)で0.2〜0.25ミリまで細かく割っていき、いろいろな種類の人形ごとに、細かい細工や模様を付けていき、細工が施されたものを組み立てて磨き(艶出し)をして仕上げる。


紙すき

越前和紙

嶺北地方で製造される和紙。
襖紙、小間紙、奉書紙、檀紙、証券紙、画仙紙など豊富な種類があり、特に奉書や鳥の子は高い評価を得ている。
越前和紙のはじまりについて、はっきりしていないが、全国でも例のない紙漉きの紙祖神「川上御前」の伝説(約1500年前)がある。
室町時代から江戸時代にかけ、「越前奉書」や「越前鳥の子紙」が公家・武士階級の公用紙として全国に広まり、福井藩は越前和紙を藩の専売として利益をあげるとともに、技術の保護や生産の指導を行っていた。
寛文5年(1665年)には越前奉書に「御上天下一」の印を使用することが許可され、正徳5年(1715年)の「倭漢三才図会」では「越前鳥の子紙が紙の王にふさわしい紙」と評される。
一般に日本最初の藩札とされる福井藩札は、越前和紙を使って製造され、のちに丸岡藩札も越前和紙で発行された。
明治元年、明治新政府はそれまでの各藩の藩札に代わり、日本統一の「太政官札」を発行したが、これに採用されたのもまた越前和紙である。
その後、新政府発行の紙幣はドイツ製洋紙に変更されたが、明治8年大蔵省抄紙(しょうし)局が設けられ用紙の独自製造を再開すると、越前和紙の紙漉き職人が上京して新紙幣の用紙を漉き、技術指導を行った。(「明治通宝」参照)
越前和紙は偽札防止のための透かし技法(黒すかし)を開発したため、日本の紙幣製造技術は飛躍的に進化した。
昭和15年(1940年)には大蔵省印刷局抄紙部の出張所が岩本に設置され、のちにここで百円紙幣、千円紙幣を漉いていた。
前述の奉書紙の格式やこれら紙幣の歴史があるため、証券や証書(卒業証書等)などに「正式の用紙」として越前和紙が使用される。

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